子どもの未来を考えると、無力感を感じる

日々保育をしていく中で、「これって本当に子ども達のためになるのだろうか?」

「このままの保育で本当にいいのだろうか?」

「一斉保育には限界があるのではないだろうか」

「もっと自然に触れて五感を大切にする保育をした方がいいのではないだろうか」

「一人一人の気持ちに寄り添いながら、それぞれが楽しめることを思いっきりさせてあげたい」

などなど、保育に対して色々な事を思います。

家庭での親子の関わりが上手くいかず、園でその影響が表出している時には心が苦しくなりますし、

服装がボロボロだったり、肌荒れが酷すぎたり……生活習慣の乱れやら、発達障害やら、愛着障害、偏食、他害…と子どもを取り巻く環境と園での子どもの状態に疲弊することがあります。

「なんとかしてあげたい」

「けれど現場の保育には限界が…」

その葛藤に心が疲れる日々です。

ここでだいぶ話は逸れますが、「ムーンショット目標」ってご存知ですか?

内閣府のホームページに載っているので気になる方は調べてみてください。

それによると、目標の一つに

『2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現』

  • 2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
  • 2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。

とあるんですね。これは目標の中の一部なんですが。(全部で10項目あります)

詳しいことは全然わからないし、ただの都市伝説好きの素人知識なんですが。

これって現実世界っていうより仮想世界(メタバース)でのことなのかなって思って。

で、2050年て事は今の子どもたちが丁度大人になって働き盛りの時。

実現するかは別として、こういう世界になっていく…

身体の制約からの解放ということは、病気になっても大丈夫だし、言い換えれば不健康な生活を送っていても問題ないということ…?

一人で10体以上のアバターとは…他人と一緒に仕事をするのではなく、自分で自分の思い通りに複数人分の働きができて、コミュニケーションが不要になるということ…? そして仮想世界で仕事をするってこと?

脳の制約から解放…イメージが湧かないけれど、考えることが不要ってこと??

時間の制約から解放…時間を気にすることがないから「時間を守りましょう」みたいな人としての常識も必要なくなる?

これはあくまで私の考えであって、こういう狙いかどうかはわかりませんよ!

ただの都市伝説好きの捉え方です。笑

こういった動画などをよく見るのですが、こうした明るくなさそうな未来の事を考える度に、少し憂鬱になるというか無力感を感じるというか。

自分が一生懸命考えてることって意味ないのかもなって。

無力感を感じると共に少し楽になる感覚もあります。

頑張りすぎても意味ないのかもなって。

子ども達の未来のために、もっと自然で遊ばせたり一人一人の想いを大切にしたり…と考えていたけれど、

未来ではみんな仮想世界にいて、コミュニケーションの必要がなくて、自分の関わりたい人とだけ関わって、やりたいことだけやって、人を傷つけてもアバターだから問題なくて…という世界になるのかな。

それなら今の子ども達の状態を良くしようというこの考えは意味ないのかな。

逆にアバター10体以上も操る必要があるなら、人間性よりもスキルが大事になってくるだろうから、愛着形成とかそんなことよりも、能力を強化していくことが大事になるのかな。

愛着障害が増えてるのは、遠い未来で愛を知るために愛を知らない時代が必要だからかな。

そんなことを考えてしまう変な保育士です笑

じゃあもう何もかもあきらめてしまおうかと思ったりもするんですけどね。

そんな時に思い出すのが「中今(なかいま)」という言葉。

私は矢作直樹さんでこの言葉を知ったんですけどね。

まさに今。この瞬間。今目の前にいる人。これを大切にする。

今目の前にいる子どもを大切にする。笑顔にする。助ける。

今目の前にいる保護者と真剣に向き合う。理解しようとする。助けになろうとする。

遠い未来のことを考えて憂鬱になるたびにこの言葉を思い出しています。

こんなこと考える保育士は私だけだと思いますが笑

今日も園の方針に納得いかないことがあったのでモヤモヤしていたのですが、この言葉を思い出したので、とりあえず方針については置いておいて、目の前にいる子どもだけに集中しようと思います!

本日もお疲れ様でした!

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